出エジプト記 第16回

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マナ[後編](16章16節~36節)

イスラエルにマナを与えるにあたって、ヤハウェはこう言いました。
「あなたたちは毎日、必要な分つまり家族一人あたり1オメル(約2.3リットル)のマナを集めよ。わたしは、イスラエルが私の指示どおりにするかを試す。ただし六日目だけは毎日の二倍のマナを与える」

民はさっそく、地表をおおったマナを集めました。「ちょっと集めすぎたかな」という者も「少し足りなかったか」という者もいましたが、計ってみると誰もが1オメルちょうどだったと記録されています。

ところが、中には、マナを翌朝まで残しておいた者がいました。明日の食糧が手に入る保証もない荒野の旅ですから、今満腹するよりも明日のためのたくわえにしようと思ったのでしょう。しかし残しておいた分は虫がわき、臭くなってとても食べられたものではありませんでした。おまけに、残しておいた者はモーセからえらく怒られたのです。

ヤハウェが「毎日必要な分のマナを与える」と言ったのに、それを信じないで「明日は食糧がないかもしれない」と考えた、不信仰で不従順な姿勢をモーセは叱ったのです。
神ヤハウェの救いをまず求めるなら、明日何を食べようかと心配する必要はなく、その日の苦労はその日だけで十分なのです。(→マタイ福音書6章25-34(「義」は「救い」の同義語))

さて六日目の朝。民がマナを集めると、それは一人当たり2オメルありました。モーセは民にヤハウェの言葉を伝えて言いました。
「明日は休息の日、ヤハウェの聖なる安息日(あんそくび)だ。今日の分を食べ、あまった分は調理して明日のためにたくわえておきなさい」
イスラエルはモーセの指示どおりにしましたが、六日目の分に限って、翌朝まで残しておいても虫がつかず臭くもならなかったのです。

そして七日目の朝。モーセは民に「今日はヤハウェの安息日だから、マナを探しても見つからない」と言ったのですが、それにもかかわらず何人かがマナを集めに出て行きました。
しかしヤハウェがモーセをとおして伝えていたとおりマナは降らなかったので、彼らは手ぶらで帰りました。そして、繰り返される不従順に対して、ヤハウェは「あなたたちは、いつまでわたしの戒めと教えを拒み続けて、守らないのか」ととがめ、「主があなたたちに安息日を与え、そのために前もって六日目に、安息日に労働しなくてもよいようにマナを与えておいたではないか。七日目は自分のテントにとどまっていなさい」とさとしたのでした。

安息日とは、ヤハウェが世界を創造した時に、七日目に創造の手を休めたことを記念してこの日を聖別(せいべつ:聖なるものとして他と区別すること)したことを起源とします(→:創世記2章1-4)。
これにならって、人も、この日を聖なる日として、労働の手を休めることが命じられたのです。

それにしても、翌朝までマナを残すなといっては叱り、六日目と七日目だけパターンを変えてきてイスラエルがついていけないとまた叱る。ヤハウェは何をしたいのでしょう。
やがてイスラエルはシナイ山につき、そこでヤハウェから律法を提示されて、従うなら恵みを与えるという契約を締結します。その契約の前に、ヤハウェに従うとはどういうことか学ぶ演習なのでしょう。

さて、ヤハウェはモーセに、1オメルのマナを保存して代々つたえよ、と命じました。遠い子孫もそれを見ることで「主は荒野で、このパンでイスラエルを養った」と知るためです。
モーセの指示でアロンが、金の壷にマナを1オメル入れました。このマナも、虫がわくことも臭くなることもなく保存されたのです。
壷はのちに、十戒の石板とともに『おきての箱』に収められます。のちにおきての箱もろとも失われてしまいますが、ヤハウェがマナによって民を養ったことはちゃんと子孫に伝えられていきました(→:ヨハネ福音書6章31)

ヤハウェをためす(17章1節~7節)

イスラエルはヤハウェに導かれて旅を進め、レフィディムに宿営しました。ところがここには水がなかったと記録されています。

なぜヤハウェは、そんなところに宿営させたのでしょうか。
これも、ヤハウェへの信仰と従順についての演習のうちでしょう。マラで「飲める水がない」とヤハウェに不平を言った民への応用問題なのです。さて、イスラエルは今度は信仰をもってヤハウェに水を求めることができるのでしょうか。

ところが彼らは、またも落第してしまったのです。すなわち、モーセとヤハウェに向かって「我々に水を与えよ。それともエジプトから連れ出したのは、子供たちや家畜もろとも渇きで殺すためか」と争い、ついにはモーセを石で打ち殺そうとまでします。[その場所をマサ(試し)とメリバ(争い)と名付けた。イスラエルの人々が、「果たして、主は我々の間におられるのかどうか」と言って、モーセと争い、主を試したからである。]と記録されているのです。

助けを求めるモーセにヤハウェは、ヤハウェ自身がモーセとともにあると約束し、ナイル川を打って水を血に変えたあの杖で岩を打て、と言ったのです。そしてモーセがそのとおりにすると、岩から水が湧き出しました。

杖がマジックアイテムなのではなく、モーセに奇蹟を起こす力があるのでもありません。杖はモーセがヤハウェから受けている権威の象徴で、それによってヤハウェが岩を割って水を噴き出させたのです。
そして、この杖のもとに、つまりヤハウェがモーセをとおしてイスラエルとともにいるという象徴のもとに、イスラエルははじめての外敵との戦闘を経験することになるのです。

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#068
作成:2000年5月4日
更新:2003年5月1日

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