出エジプト記 第14回

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ファラオvsヤハウェ[最終決戦3](14章29節~15章21節)

勝利の歌

「主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。」と記録されています。朝の光の中でイスラエルの人々が目にしたのは、岸に打ち上げられた戦車の残骸や馬の屍体、そしておびただしいほどのエジプト兵の死体でした。
こうしてイスラエルは、ヤハウェがエジプト人におこなった偉大な業績を見て、ヤハウェを畏れ、信仰を堅くしました。こののち民は神を「わたしたちをエジプトから引き出した主」と呼ぶようになるのです。

この偉大なヤハウェを賛美して、モーセと民が歌った歌が残っています。

主に向かってわたしは歌おう。
主は大いなる威光を現し
馬と乗り手を海に投げ込まれた。
主はわたしの力、わたしの歌
主はわたしの救いとなってくださった。
この方こそわたしの神。
わたしは彼をたたえる。
わたしの父の神、わたしは彼をあがめる。
主こそいくさびと、その名は主。
主はファラオの戦車と軍勢を海に投げ込み
えり抜きの戦士は葦(あし)の海に沈んだ。
深淵が彼らを覆い彼らは深い底に石のように沈んだ。

主よ、あなたの右の手は力によって輝く。
主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕く。
あなたは大いなる威光をもって敵を滅ぼし
怒りを放って、彼らをわらのように焼き尽くす。
憤りの風によって、水はせき止められ
流れはあたかも壁のように立ち上がり
大水は海の中で固まった。
敵は言った。「彼らの後を追い
捕らえて分捕り品を分けよう。
剣を抜いて、ほしいままに奪い取ろう。」
あなたが息を吹きかけると
海は彼らを覆い
彼らは恐るべき水の中に鉛のように沈んだ。
主よ、神々の中にあなたのような方が誰かあるでしょうか。
誰か、あなたのように聖(せい)において輝き
ほむべき御業(みわざ)によって畏(おそ)れられ
くすしき御業を行う方があるでしょうか。

あなたが右の手を伸べられると
大地は彼らを呑み込んだ。
あなたは慈(いつく)しみをもって贖(あがな)われた民を導き
御力(みちから)をもって聖なる住まいに伴われた。
諸国の民はこれを聞いて震え
苦しみがペリシテの住民をとらえた。
そのときエドムの首長はおののき
モアブの力ある者たちはわななきにとらえられ
カナンの住民はすべて気を失った。
恐怖とおののきが彼らを襲い
御腕の力の前に石のように黙した
主よ、あなたの民が通り過ぎ
あなたの買い取られた民が通り過ぎるまで。

あなたは彼らを導き
嗣業(しぎょう)の山に植えられる。
主よ、それはあなたの住まいとして
自ら造られた所
主よ、御手によって建てられた聖所です。
主は代々限りなく統べ治められる。

詩を解説するというのも難しいので、ポイントだけ説明しますのであとは読者それぞれの感性で楽しんでください。
「主こそいくさびと」とは、肉迫するエジプト軍におびえたイスラエルに対してモーセが「主が戦われる。あなたたちは静かにしていなさい」と言ったことを思い出して歌ったのでしょう。

ペリシテは海沿いの民、エドムとモアブは山沿いの民、カナンは平野の民です。これからイスラエルは、約束の地に向かって進んでいくのですが、行く手に立ちふさがるであろうこれらの諸民族も「あのエジプトでさえ、イスラエルの神の前には無力だった」と沈黙すると歌っているのです。
(ただし残念なことに、イスラエルは不信仰のために敗走したり荒野を放浪したりすることになります)

嗣業とは「代々嗣(つ)いでいく業」という意味で、旧約聖書ではおもに相続する土地のことを言います。イスラエルが子々孫々まで受けついでいく土地を、奴隷だった彼らに永遠の国土を、ヤハウェが与えてくださると歌うのです。そして、自分たちのまっただなかにヤハウェの聖所がおかれ、永遠に神ヤハウェに直接統治されると歌っているのです。
(しかしやがて、イスラエルはヤハウェに統治されるよりも人間の王に統治されるほうがいいと言ってヤハウェから離れていくのです)

数百年にわたる奴隷の状態から救い出し、今、劇的にエジプト軍を打ち破ったヤハウェへの賛美は、これだけでは終わりませんでした。
女預言者でモーセとアロンの姉のミリアム(2章に登場)が、他の女たちとともに小太鼓(別の訳ではタンバリン)を手に、歌にあわせて踊り出しました。きっと、歌声は延々と続いたことでしょう。

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#066
作成:2000年4月5日
更新:2002年12月11日

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