出エジプト記 第13回

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ファラオvsヤハウェ[最終決戦2](14章5節~29節)

迫るエジプト

イスラエルを「去らせた」のですから、ファラオとその家臣はいまさら「荒野に三日の道のりほど行くだけ」というモーセの弁を真に受けていたわけもないでしょう。しかしあらためて「イスラエルが逃亡した」との報告を受け、またレンガを焼くかまどの煙がエジプトの空から絶えたのを見ると、ファラオも家臣たちも数々の恐ろしい災厄のことを忘れて「何ということをしたのだろう。イスラエル人を労役から解放するとは」と後悔に駆られました。ある日突然、20歳以上の男性だけでも60万人という労働力を失ったのだから、当たり前です。しかも奴隷にやらせていたようなしんどい労働、市民がやりたいはずもありません。

ファラオはイスラエルを連れ戻すために出陣しました。直属精鋭部隊の戦車600を含むエジプトの全戦車、そして騎兵と歩兵を従え、みずからも戦車に飛び乗って。
そして見つけたのは、海と荒れ野に挟まれて逃げ場を失っているかのようなイスラエルの宿営。

意気揚々と行進し心はすでに約束の地だったイスラエルは、土煙を蹴立てて背後に迫る戦車軍団を見るや、たちまちパニック!人数は圧倒的にイスラエルが多いとは言え、ろくな武器もない上に、奴隷上がりで戦い方も知らない。屈強な者が何人かいたところで、非戦闘員や家畜を抱えて陣も敷けない。
彼らはモーセに「何のために我々を連れ出したんだ」と詰め寄りました。荒野で死なせるためなのか、荒れ野よりエジプト人のほうがマシだからほっといてくれと言ったじゃないか、と。

民が目の前の現実(水が底をつく、強敵が立ちふさがる、など)に狼狽し、「エジプトの方がよかった」と反抗する。モーセは毅然として、民の反抗をヤハウェにとりなす。ヤハウェはモーセの信仰とアブラハムへの約束のゆえに、民をあわれむ。という構図が、この荒野の旅路で繰り返されることになります。

とは言っても、イスラエルが恐れまどうのも無理はありません。
響き渡るのは、エジプトの戦車の車輪とひづめの音。絶望にかられるイスラエルの民。あえて背水の陣を敷かせたヤハウェの戦術は一体。。。

そう、主なる神ヤハウェがどう戦うか、なのです。モーセは民にこたえました。恐れずに落ち着いて、今日あなたたちのために行われるヤハウェの救いを見よ、と。ヤハウェが戦うのだから、あなたたちは静かにしていなさい、と。

主が戦う

ヤハウェはモーセに、民を出発させるように命じました。といっても、海と荒野に挟まれて、一体どこへ向かって出発するのか。
「杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べて、海を二つに分けなさい。そうすれば、イスラエルの民は海の中の乾いた所を通ることができる。」と、ヤハウェはモーセに命じました。それと同時に、民を先導していた雲の柱が民の背後に移動したのです。「真っ黒な雲が立ちこめ、光が闇夜を貫いた」と記録されていますが、この雲のためにエジプト軍は一晩中イスラエルに近づけなかったと書かれていますから、ただの雲ではありません。

そしてモーセが海に向かって手を差し伸べたとき、それが始まったのです。

主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。

海の水が押し返されるほどの風が、イスラエルの人々が進む間も吹きつづけたら、こどもなどは簡単に吹き飛ばされてしまったでしょう。それに、水が左右に壁のようになったという記述もあり、たぶん東風はこの奇跡の引き金の役目だったのでしょう。
水が引くとそこには、さらなる奇跡が待っていました。ぬかるんだ堆積物ではなく乾いた地面が現れたのです。人や家畜の足も荷車も泥にはまることなく、イスラエルは対岸めざして進んで行きました。

イスラエルの人々や家畜や荷車が進めるなら、エジプトの歩兵や騎兵や戦車だって行軍できるのが道理です。そしておそらく、イスラエルが前進をはじめたときに雲の柱はまた民の先頭へ移動したのでしょう。エジプト軍はイスラエルの後を追って、海の中に現れた道へ殺到しました。
海がわかれたのをみれば、イスラエルの神、主がすさまじい力を持っていることはエジプト人にもわかったはず。しかし人間は理解を超える出来事の前には思考をとめてしまうことがあります。海が割れたなどという現象を見て「こんなことは起こるわけがない、考えるな。あの逃げていくイスラエルは現実だ、とにかくイスラエルを追うんだ」と考えたのではないかと思うのです(←筆者の想像)。
エジプト人の心にヤハウェが働きかけてかたくなにさせた、ということもあったでしょう。

たちまちイスラエルに迫るエジプト軍。しかしまたもヤハウェが介入しました。エジプト軍の戦車の車輪をはずして、進みにくくしたのです。
自慢の戦車、しかも数々の戦いで勝利を収め、次なる戦いにそなえて整備を怠らなかったはずの戦車が異常をきたしたとき、エジプト軍人にとっては海が割れるなどという途方もないできごとよりいっそリアルに、ヘブライ人の神ヤハウェの力を感じさせたのではないかと思います。ここへ来てようやく、エジプト軍は「我々の敵はヘブライ人奴隷ではない。エジプトの神々よりはるかに強大な神だ」と気づき、退却しようとしました。

しかし気づくのが遅かった。イスラエルが対岸についたところでヤハウェがモーセに命じて海に手を差し伸べさせると、水がエジプト軍の上に、戦車、騎兵の上に流れ返り、夜が明ける前に海はもとどおりになってしまったのです。

イスラエルを追って海の中の道に入ったエジプト軍に、一人の生存者もなかったと記録されています。

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#065
作成:2000年3月22日
更新:2002年12月11日

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