出エジプト記 第11回

menu

エジプトの叫び(12章28節~32節)

イスラエルの人々は、ヤハウェがモーセとアロンに命じたとおりに、過ぎ越しと出発の準備をはじめました。
そして、ヤハウェが定めた日の真夜中。ヤハウェ(の使い=天使)はエジプトを行きめぐり、門と鴨居に羊の血を塗っていないすべての家の初子を撃ったのです。ファラオも、国を継がせるはずだった王子を失いました。家臣たちも跡取りを失いました。民も、収監されている捕虜も、神聖な牛も、初子が死んだのです。死人の出なかった家は一軒もなかったので、大いなる叫びがエジプト中に起こった、と記録されています。
エジプトにしいたげられ、助けを求めて叫んでいた奴隷のイスラエル。しかし今、ファラオの頑迷さのゆえに、今度はエジプトが叫ぶ番になったのです。

この大惨事、しかも今までの災厄のように自然災害でかたづけることのできないわざわいに、ファラオはついにヤハウェの前に屈しました。その夜のうちに、モーセとアロンを呼び出して、イスラエルの要求を全面的に呑んだのです。

出発(12章33節~42節)

ファラオ同様、エジプトの人々はイスラエルを出ていかせようとせきたてました。これ以上イスラエルをとどめていたら、初子の死の次は自分たちが死ぬ番かもしれないという恐怖です。

とっくに旅装を整えていたイスラエルは、例の酵母を入れていないパン生地を鉢ごと外套でくるんでかつげば、出発の準備は完了です。
もちろん、モーセの指示どおり、エジプト人から金銀の装飾品などなどをいただいていきました。ヤハウェが干渉したので、エジプト人は喜んで求められるままに差し出し、イスラエルは長年にわたる苦役の賃金として分捕り品を手に揚々と出発したのです。

その数は、兵役に就ける壮年男子だけでも60万人(*1)。その妻子も一緒ですから、一説には200万~250万人と見積もられています。それだけの奴隷をエジプトはどうやって管理していたのかとも思いますが、ファラオが「イスラエルが敵に寝返ったら」と心配したのも無理はなかったかも。

さらに「種々雑多な人々」も加わったとあります。同じように奴隷になっていた異国人がいっしょに逃げ出したのでしょうか。
「イスラエル人の神はすごい!」と回心した者がついていったのかもしれませんが、彼らはやがて、イスラエル人をまきこんでヤハウェに不平を言うようになります(→民数記11章4~)。

兵役可能な60万+その妻子+種々雑多な人々にくわえて、羊や牛などの家畜もおびただしい数だったと記録されています。
ヤコブが一族70人とともにエジプトに移り住んでから430年がたったちょうどその日、イスラエル民族=ヤハウェの部隊は全軍をあげて出発したのです。
たぶん、まだ夜はあけきっていなかったでしょう。ヤハウェがイスラエルを導き出すために夜じゅう働きかけたことを記念して、過ぎ越しの祭ではこの夜に寝ずにヤハウェを礼拝するようになったようです。


*1 60万人
「『60万人』と訳した単語に別の意味があるのではないか」「『非常にたくさん』を表しているだけではないか」などさまざまな解釈が提示されているのですが、このサイトでは、書いてあるとおりだったとしています。

前へ 上へ 次へ

#063
作成:2000年3月1日
更新:2002年12月11日

布忠.com