出エジプト記 第10回

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最後通告(11章)

ファラオの前を退出しようとするモーセに、ヤハウェは、最後のわざわいについてファラオに伝えるように示しました。この災いによってやっとイスラエルを出ていかせる、いや、一人残らず追い出すことになるというのです。モーセは「主はこう言われた」とファラオに告げました。

真夜中ごろ、わたしはエジプトの中を進む。そのとき、エジプト中の初子(ういご=第一子)は、ファラオの王子から、もっとも貧しい者の子にいたるまで、さらに家畜の子までも、すべて死ぬ。このために、かつてなく今後もおこらないほどの非常な叫びがエジプト全土に起こるが、イスラエルの住む地では叫びどころか犬のうなり声さえ起きない。これによって主がエジプトとイスラエルを区別しておられることを知るようになる。

「真夜中」がいつの夜なのか明らかにされないのが不気味です(このわざわいは数日後に訪れることになります)。
もちろん、ファラオも座して待ってはいなかったでしょう。映画「帝都物語」は、地脈を操って帝都壊滅を謀る魔人加藤に対し、陰陽師とか風水師とかが結界を張ったりして防衛戦を挑むというという物語りでしたが、ファラオも例の魔術師たちやエジプトの神々に仕える神官などを動員して、この戦いをしのぎきろうとしたはずです。
ただ、ファラオにとって分が悪かった。いや、悪すぎました。妖しい術を使う超能力者ならまだしも、相手は全能者ヤハウェ。「光あれ」などの言葉だけで世界を創造してしまうほどの力を持つ神。第10の災いがエジプトを襲ったとき、ファラオにはなすすべもなかったのです。が、それについては次回。

出発の準備(12章1節~28節)

あれほどの譲歩を足蹴にされたファラオには、奴隷たちを出発させるつもりなど微塵もなかったでしょう。しかしヤハウェは、ファラオの意向など無関係に、イスラエルに出発の準備をはじめさせました。

過越祭の制定

ヤハウェはまず、イスラエルを救出する今月「アビブの月」を、年の初めの正月として記念するようにと命じました。それまでのカレンダーでは7番目だったこの月は、アビブ(大麦の穂)が出始める頃、現代の私たちのカレンダーでは3月から4月にあたります。

次にヤハウェは、この正月に「過越(すぎこし)の祭り」を制定し、子々孫々まで祝うように命じました。この祭りの名は、最後の災いがイスラエル人の家は『過ぎ越し』て、エジプト人だけを襲いその家の初子を殺したということに由来します。

祭りの内容もヤハウェによって次のように制定されました。
月の10日に、傷のない1歳の雄の羊を用意します。14日にこれを殺して、その血を、家の入り口の両脇の柱とその上の鴨居に塗ります。肉は丸焼きにして、酵母を入れていない未発酵のパンと苦菜をそえて食べます。
このとき人々は旅装して、つまり腰帯をしめ、靴をはき、杖を持って、しかも急いで食べなければなりません。そうやって、エジプト脱出の当時をしのぶのです。(その他、細かいところは12章3-14)

ヤハウェはまた、この儀式の意味を子供たちに尋ねられたなら「これは主の過越の犠牲だ。主がエジプト人を撃った時、イスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのだ」と答えて、代々つたえるように命じました。

こうして、祭りの制定とともに、エジプトを出ていく準備が進められていきました。

羊の血

血を戸口に塗るのは、「あなたたちのいる家に塗った血は、あなたたちのしるしとなる。血を見たならば、わたしはあなたたちを過ぎ越す。わたしがエジプトの国を撃つとき、滅ぼす者の災いはあなたたちに及ばない」とヤハウェが約束したからです。
イスラエル人なら無条件に災厄から救うのではなく、ヤハウェの約束を信じてヤハウェの命令にしたがって者だけが救われるのです。
イスラエル人でも血を塗っておかなかった者がいたなら、その家は災厄をまぬがれなかったでしょう。逆に、聖書には記録されていませんが、エジプト人であっても主ヤハウェの言葉を信じて血を塗っておいた者がいたなら、その人は災厄をまぬがれたはずと思います。
B'zというバンドが「信じる者しか救わないセコイ神様なんか」と歌っていましたが、ヤハウェはすべての人の前に救いを置いていて、それを手に取るか蹴っ飛ばすかは、それぞれの勝手なのです。

ところで、過越し祭りの羊(またはヤギ)とイエス・キリストには、密接な関係があります。
ルカ福音書22章16でイエスは、やがて神の国で過越が成し遂げられると弟子たちに教えています。この新しい過越では、

なのです。

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#062
作成:2000年2月16日
更新:2002年12月11日

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