出エジプト記 第3回

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行け、モーセ(2章23節~4章17節)

民の叫び

長い年月が経ち、モーセ逃亡時のファラオは死にました。が、王が代わってもイスラエル人の過酷な状況はかわりません。
彼らはもはや祈ることもできずただ、うめき、さけんでいました。誰か助けてくれ、と。

しかし祈りの体裁になっていなくても、助けを求める彼らの叫び声は神ヤハウェに届き、ヤハウェは「アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた」のです。
そしてイスラエル救出のために、ヤハウェはモーセを召し出すのです。

行け、モーセ

そのころモーセはエジプトを遠く離れ、ミディアン地方で舅の羊の群れを飼っていました。そして草を求めてシナイ山(*1)に来たある日のことです。

モーセは1本の柴(アカシアか?)が燃えているのを見ました。乾燥した土地ですから、何かの拍子に木が燃え上がるくらいは珍しくなかったでしょう。しかしモーセはその異様さに気づいたのです。「燃えつづけているのに、なぜ燃え尽きてしまわないのだろう」と。彼は燃える柴に近づいてみました。そのときです。

「モーセよ、モーセよ」と呼ぶ声がしました。思わず彼が返事をすると、燃える火の中から「ここに近づいてはならない。足から履物を脱ぎなさい。あなたの立っている場所は聖なる土地だから」という声が。
声はさらに「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。」と名乗るではないですか。

恐れ入って顔を伏せるモーセに、ヤハウェは語りました。
わたしは、エジプトにいるわたしの民イスラエルの苦しみ、叫び、痛みを知っている。わたしは彼らを救い出し、乳と蜜の流れる地(*2)へ、かつてアブラハム、イサク、ヤコブに与えると約束したカナンの地へと導きのぼる。

モーセはその幼い日、実家にいたあのわずかな期間に、イスラエルの神ヤハウェのこと、ヤハウェとイスラエルの契約のことは繰り返し聞かされていたでしょう。「ついに、ヤハウェがイスラエルを助け出されるのか!」と、喜びで胸が熱くなったに違いありません。

が。

モーセのその喜びは、ヤハウェの次の一言でふっとぶのです。
「というわけでモーセよ、おまえをファラオのもとに派遣する。おまえが、わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ」
ボーゼン。口あんぐり。思わず「わたしは、そんなことができる者ではありません!」と必死になりました。

モーセが義憤に燃えて同胞をしいたげるエジプト人を撃ち殺したのは、彼がまだ若く、しかもファラオの王女の子という身分だったときです。今は80歳にもなろうという老人で、しかも国外に亡命中の一介の遊牧民。それに王宮育ちの彼には、エジプト王家の力も、国の経済におけるイスラエル人労働力の重要性もわかっています。それを連れ出すなど、容易でないどころか不可能。

なんとかこの任務を逃れようとするモーセですが、しかしヤハウェは、その抵抗をひとつひとつ破っていくのです。

モーセが「わたしがイスラエルのところに行って『神がわたしを派遣された』といっても、彼らは『お前を派遣した神とは何者だ』と言うに決まっています」と言えば、ヤハウェは「彼らには『わたしは存る』(*3)という方がわたしを派遣したと言えばよい」と答え、さらに「『あなたたちの先祖の神、アブラハム、イサク、ヤコブの神である主』が、永遠にわたしの名である」と示しました。

そして、イスラエルの長老たちとともにファラオのもとへ行って「ヘブライ人の神、主を礼拝するために三日の道のりを荒れ野に行かせるように」と要求せよと命じ、それから起きることを予告します。
ファラオが容易には行かせないだろうこと。ヤハウェみずから手を下してあらゆる驚くべきわざをおこない、エジプトを打ちのめすこと。その後にやっとファラオがイスラエルを去らせること。
そのときヤハウェがエジプト人に、イスラエル人に対して好意を持つようにさせるので、イスラエル人が手ぶらで出国することはないこと。エジプトから分捕り物をたずさえて行け、と。

逃げるモーセ。しかし

そこまで言われてもなお、モーセは「彼らが信用するわけがない」と逆らいます。不信仰だからではなく、ことの重要性、この任務の意味を理解したから逃げるのです。
しかしヤハウェはしるし(=奇跡)を示せば彼らは信じるといい、モーセの杖を蛇に変え、また杖に戻す奇跡などを示しました。

モーセは、自分は口下手だから、同胞を説得したりファラオを説得したりなどできないと言って逃げます。
これにもヤハウェは「人間に口を与えたのは主なるわたしではないか。このわたしがあなたとともにあって、あなたが語るべきことを教える」と言って、モーセの逃げを封じるのです。

モーセはもう、必死になって「ああ主よ。どうぞ、だれかほかの人を見つけてお遣わしください」と懇願します。とにかく勘弁してくださいと。
とうとうヤハウェは怒って「あなたが口ベタでも、あなたには雄弁な兄アロンがいるではないか。彼があなたの口の代わりとなる」と言い、「わたしはモーセの口と共にあり、アロンの口と共にいる」と保証して、この会見を打ちきってしまったのです。


*1 シナイ山
3章1ではホレブ山とありますが、同じ山のことです(ホレブ連山の中にシナイ山があったらしい)。本誌ではシナイ山で統一します。

*2 乳と蜜の流れる地
遊牧民のことばで、”乳”は乳を取る家畜のための牧草豊かな地、”蜜”は蜂が住める、つまり花の咲く草や木が豊かな地を表現します。牛乳とハチミツが実際にだくだく流れてる土地ということではありません。

*3 わたしは在る
過去形(わたしは存在していた)、現在形(わたしは存在している)、未来形(わたしは存在しつづける)のどの意味も含む、神の本質を表わしている名前。

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#055
作成:1999年12月6日
更新:2002年12月11日

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