創世記 第62回

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ヤコブの死(49章29節~50章21節)

遺言

ヤコブことイスラエル翁は息子たちに、先日ヨセフに頼んだ通り自分の遺体を先祖の墓に埋葬してくれるようにと念を押しました。

その墓は、かつてアブラハムがサラを葬るためにヘト人エフロンから買い取ったもので、先々代のアブラハムと妻サラ、先代のイサクと妻リベカも埋葬されています。
イスラエル自身もすでにそこへ、第一夫人レアを葬っていました。ただし彼にとっては残念だったでしょうが、第二夫人ながら彼がもっとも愛した妻ラケルは、旅の途中で倒れ、別のところに葬っています。(→35:19)

ヤハウェはイスラエルの民を必ずカナンに連れ帰ると、アブラハムとイサクに約束したとおりイスラエル翁にも約束しましたから、自分もヤハウェの約束の地に入りたいと望んだのです。

ヤコブの死

葬り方を息子たちに命じたあと、イスラエル翁は147歳で息を引き取りました。
47章で父から直接に葬りについて頼まれていたヨセフは、みずから喪主となり、葬儀の段取りをはじめました。まず自分の侍医たちに命じて、父のなきがらにエジプト流の防腐処置をさせました。つまりミイラにしたわけで、これに40日かかったと記録されています。

エジプト人が高貴な人をミイラにしたのは、その信仰上「復活するときに体が残っていないと困る」と考えられていたからです。では、エジプト人とは信仰を異にするヨセフがイスラエル翁の遺体に防腐処置をほどこしたのは、異教の風習に染まったからでしょうか?
遺体を埋葬するまでもたせるための現実的な選択ということだったのではと思います。エジプト国民は、宰相ヨセフの父上のために、70日間も喪に服したと記録されています。その後さらにマクペラまで遺体を運ばなければならないのです。

喪が明けるとヨセフはファラオの許可を受けて、イスラエルの遺体を葬るためにカナンに向かいました。といっても、国の重要人物の埋葬ですから、身内だけで済ませるわけにはいかなかったようです。
幼児を除く一族全員のほかに、ファラオの重臣たち全員とエジプトの国の長老たち全員、さらに戦車や騎兵も一緒に行ったのです。

この行列が、エジプトからゴレン・アタド(位置不明。現在のガザ地区付近か?)まで行進してきたのです。「それはまことに盛大な行列となった。」と記録されていますが、地元のカナン人は相当に驚いたことでしょう。
ヨセフたちはそこで7日間に及ぶ葬儀をとり行いましたが、それはのちに地元のカナン人たちがその土地を指して「アベル・ミツライム(エジプト流の追悼の儀式)」と呼ぶようになったほどのものでした。

その後12兄弟は、父の遺言の通りに遺体をマクペラの洞穴に葬ったのでした。

兄たちの不安

さて、父が死んで葬儀も終わると、ヨセフの兄たちは急に不安になってきました。
ヨセフに対する自分たちの仕打ちを、ヨセフは今も恨んでいるのではないか。父の存命中は恨みを押さえていただけかもしれない。父の喪も明けた今こそ、仕返ししてくるのではないか、という不安です。
そういえば父イスラエル翁がエサウとイサクを出し抜いたときも、エサウはすぐに行動を起こすのではなく「父が死んでその喪が明けたら、ヤコブを殺そう」と雌伏したのです(→27:41)。

そこで兄たちは使者をヨセフに送ってこう伝えました。「お父さんは生前『兄たちは確かに悪いことをしたが、どうかゆるしてやってくれ』とヨセフに伝えるようにと言っていました。お願いだから、父の神に仕えるしもべたちをゆるしてください」

これを聞いて、ヨセフは泣いたと記録されています。

ヨセフが兄たちに売られてエジプトに来たのは、一族を救いエジプトで繁栄させるためのヤハウェの遠大な計画によるものだと、父も理解していたはず。だとすればこんなことを言うわけがないのです。
ヨセフが泣いたのは、父の名を出しヤハウェの名を出してゆるしを乞うほど怯えている兄たちを哀れんだ涙であり、ヤハウェの意志をまだわかっていない兄たちに落胆した涙であり、兄たちが自分を売ったという事実が互いの間にこんなに溝として残っていることを悲しんだ涙だったのです。

やがて兄たち自身が来てひれ伏すとヨセフは、再会したときに話したこと(45:4-8)をもう一度説明してこういいました。

あなたがたはわたしに悪をたくらみましたが、神はそれを善に変え、多くの民の命を救うために、今日のようにしてくださったのです。

だから恐れる必要はない、このわたしがあなたとあなたたちの子供を養いますと、ヨセフは兄たちを慰めやさしく語りかけたのでした。

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2版:2003年05月20日

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