創世記 第56回

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変えられていた兄たち(44章14節~45章3節)

ヨセフの真意

兄弟たちは、さっきまであんなに楽しんだ場所であった官邸へ連行されると、ヨセフの前で平伏しました。
ヨセフがなぜ杯を盗んだのかと尋問を始めると、四男のユダは、いまさどう言えば潔白を証明できましょうかと答え、また[神がしもべどもの罪をあばかれたのです]とも答えました。スパイ疑惑に始まるこれらの身に覚えのない災難は、ヤハウェからの罰に違いないと思ったのです。

この罪とは、ねたみのためにヨセフを売り飛ばしたこと。その報いであるなら、犯行に加わらなかったベニヤミンを除いて全員が罰を受けなければならない。そう覚悟したところへ、ヨセフはこう判決したのです。[杯を見つけられた者だけがわたしの奴隷となり、他の者は皆安心して父親のもとへ帰るがよい]

ヨセフの意図はどこにあるのでしょう。愛する弟ベニヤミンを手元に置き、自分を売り飛ばした兄たちを去らせたいのでしょうか。

そうではありません。ヨセフは、自分を売り飛ばしたのと同じ状況に兄たちを置き、どのように行動するかを知りたかったのです。あの時、嫉妬のゆえに、父の目の届かない野で自分を売り飛ばしたように、父の愛を一人占めにしているであろうベニヤミンを、父の目の届かないところで見捨てるかどうかを。

ヤハウェの不思議な導きを通して、生意気ヨセフは信仰者に変えられた。この年月のうちにもし兄たちも変えられているなら、その時こそ正体を明かそう。しかし、もし兄たちが昔のままだったなら。。。

ユダの弁明

そのとき、ひれふしていた兄弟の中からユダが進み出て弁明をはじめました。「いまさらどう弁明できよう」とは言いましたが、父ヤコブのもとにベニヤミンを送り届けることをあきらめようとは考えなかったようです。

ユダは切々と訴えました。御主君が末の弟を連れて来いと言った時、「あの子が父親のもとを離れれば、父は死んでしまいます」と答えたのに、連れてこなければ二度と目通りは許さんと言われたこと。父にとって末の弟は、最愛の妻が生んだ二人の息子のうちの生き残りであること。それを連れ帰らないなら、父の魂はこの子の魂と堅く結ばれているから、父は死んでしまうし、自分たちは白髪の父を悲嘆のうちに陰府に下らせる不孝者になってしまうこと。出発してくるとき、自分が父にこの子の安全を保障して、もし連れ帰らないようなことがあれば自分が父に対して生涯その罪を負い続けると言ったこと。

そしてユダは、末弟の代わりに自分を奴隷として残し、末弟をほかの兄弟たちと一緒に帰らせてくれるようにと、ヨセフに願ったのです。ベニヤミンを連れずに、どの面さげて父の顔を見られるでしょう。父に襲いかかる苦悶を見るに忍びないですから、と。

「わたしはヨセフです」

これを聞いたヨセフは、[そばで仕えている者の前で、もはや平静を装っていることができなくな]ったと記録されています。

最後に見た兄たちの姿とは、なんという変わりようでしょう。ヨセフの高慢もあったとはいえ、殺すつもりで自分を穴に投げ込んで、その横で平然と食事をしていた兄たち。命乞いする自分を奴隷として売り飛した兄たち。その非情な兄たちが、父を心配し、父が愛するベニヤミンを守り、そのためなら自分はどうなってもよいと言うまでに変えられていたとは。

感情を押さえきれなくなったヨセフは、その場にいたエジプト人たちにむかって[みんな、ここから出て行ってくれ]と叫びました。彼らが全員、おそらくは相当に驚きいぶかしみながら出ていってしまうと、ヨセフは兄弟たちに自分の身を明かしたのです。そのときヨセフが声をあげて泣くその声を、退出したエジプト人たちも聞き、そのことはファラオの宮廷にも伝えられたました。

目の前のエジプトの君主が[わたしはヨセフです。お父さんはまだ生きておられますか。]と言うのを聞いて、兄たちは[驚きのあまり、答えることができなかった]と記録されています。
そりゃ驚くでしょう!自分たちが売り飛ばしたヨセフが、もう死んだか、生きていても奴隷として異国で苦労していると思っていたヨセフが、こともあろうにエジプトの主君として目の前に現れるなんて。

ヨセフを売り飛ばしたとき、兄たちはヨセフの晴れ着をはぎとりました。父がヨセフにだけ与えた、父のヨセフへの溺愛の象徴であり、自分たちのヨセフへの憎悪の象徴だったあの晴れ着です。
しかしヨセフは今、父から与えられた晴れ着の代わりにヤハウェから与えられた宮廷服を着て、兄たちと再会したのでした。

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2版:2003年05月20日

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