創世記 第51回

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獄中のヨセフ(39章21節~40章)

無実の罪で投獄されたヨセフですが、[主がヨセフと共におられ、監守長の目にかなうように導かれたので、監守長は監獄にいる囚人を皆、ヨセフの手にゆだね、獄中の人のすることはすべてヨセフが取りしきるようになった。]と記録されています。

いくら模範囚だとしても、看守が囚人の一人にすべてをまかせるということがあるでしょうか。しかし他の囚人たちも、ヨセフのゆえに、獄中の労役の手抜きも、脱走も、考えなかったようです。
しばらく後、この牢獄に二人の囚人が送られてきました。ファラオの給仕長と料理長が、王に過ちを犯して投獄されたのです。牢獄の責任者であるポティファルは、ヨセフにこの二人の身柄を預け、世話をさせました。

ある朝、ヨセフが二人のところに来てみると、二人とも「妙な夢を見た。何か意味がありそうな夢なのだけど、夢解きをしてくれる人がいない」と憂鬱な顔をしていました。ヨセフは「神が見せた夢は神が解き明かされる」と言って、どんな夢なのかを聞き出します。

給仕長の夢は、一本のぶどうの木から3本のつるが延び、見事なぶどうが熟したので、ファラオの杯に絞って献上した、というものでした。
ヨセフは、この夢に秘められた未来をこう解明しました。「3本のつる」は3日であり、3日たてば赦されてもとのようにファラオに杯をささげるようになる、と。
このときヨセフはひとつの確信を得ました。給仕長が投獄され、夢を見、それを自分がヤハウェからの知恵によって解明する。これは、ヤハウェのはからいに違いない。
そこでヨセフは、給仕長が復職したときには、無実の罪でファラオの牢にいる自分のことを、ファラオにとりなしてくれるようにと頼んだのです。

3日目はファラオの誕生日なので、確かに恩赦を得ることもあるかもと給仕長は喜びました。
それを見た料理長は、自分の夢もヨセフに話しました。それは、料理人がファラオのために用意した料理を3個のカゴに入れて運んでいると、鳥が来て食べてしまったというものでした。
ヨセフにはこの夢の意味もわかりました。3日目に料理長は死刑にされ、その死体を鳥がついばむという意味だったのです。

三日後。ファラオの誕生日の祝宴には、お役目に復帰しファラオに杯をささげる給仕長の姿がありました。一方の料理長も、ヨセフの解き明かしたとおりの結末になったのです。
これは、ヨセフに夢占いの「才能」があって、それが「当たった」のではありません。ヤハウェが夢を通して給仕長と料理長に未来を伝え、ヨセフに夢の意味を与えたのです。ただヤハウェの予告が実現しただけで、ヨセフにしてみればカンニングというか。。。

ところが、ヨセフは給仕長の弁護によってただちに牢から出され、ということにはなりませんでした。[給仕役の長はヨセフのことを思い出さず、忘れてしまった。]と記録されているのです。

恩知らずの給仕長は、ヨセフのことなどすっかり忘れてしまったのでしょうか。
実はそうではありません。イスラエルの慣用表現のようですが、聖書では「忘れる」は見捨てるという意味で使われることが少なくないのです。たとえば[主よ、わたしを忘れておられるのか」という詩が聖書に収録されていますが、全知全能のヤハウェがうっかり忘れるということはありません。これは「いつまで私を苦しみの中に放置されるのですが」という意味です。
逆に「思い出す」は、誰かのために具体的な行動を起こす意味で使われます。[主よ、思い起こしてください]ということばが聖書には何度も出てきますが、これは「ヤハウェよ、今こそ助けてください]という思いなのです。

給仕長は、せっかくゆるされたのに、収監されている外国人奴隷のことでファラオをわずらわせてはまたつまらないことになると思って、今はヨセフを「忘れる」ことにしたのでしょう。
すると「ヤハウェが給仕長と自分を引き合わせた」と思ったのはヨセフの勘違いだったのか?いえ、二年も経ったとき、給仕長が「今こそ」とヨセフのために行動を起こし、彼を牢から出すために一役買うことになるのです。

ヤハウェの計画は必ず現実となります。しかしそれがいつ実現するかは、文字通り「神のみぞ知る」です。この二年間は、ヤハウェの計画の中では、ヨセフのために必要なものなのでしょう。

さて、二年もたってから給仕長がヨセフのことを"思い出す"ことになるできごととは。

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2版:2003年05月19日

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