創世記 第49回

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ユダの物語(38章)

ヨセフの物語を進める前に、12兄弟の四男ユダのエピソードが記録されています。
この12兄弟の中で、当面はヨセフを主人公に歴史が動いていくのですが、最終的にはヨセフでも、長男ルベンでもなく、このユダの家系が主役になっていきます。あのダビデ王もソロモン王もユダ族であり、その先にはキリストであるイエスも登場することになります。(マタイ福音書冒頭のイエスの系図を参照)

ユダは、地元カナン人の娘と結婚して、三人の息子を得ました。
聖書はさらりと記録していますが、当サイトの読者なら「おいおいユダ!」と気付いたかもしれません。
イサクもヤコブも、地元の異教徒に近づいてヤハウェから離れてしまうことのないように、わざわざ遠く故郷の一族に嫁を求めたのではなかったか。

どうせ俺は長男じゃないから、とでも思っていたのでしょうかね。
しかし、この結婚が原因になったとは書いていませんが、三人も男子に恵まれていながら、ユダの家は断絶の危機を迎えるのです。

何をしたのかは記録されていませんが、ユダの長男エルは「主の意に反した」(別の翻訳では「主の前に悪い者であった」)ために、「主は彼を殺された」と記録されています。もしかしたら、母親の影響でカナンの土着宗教に傾いて、ヤハウェにそむいたのでしょうか。

家は長子が継ぐのが一般的でしたが、エルは子ができる前に死んでいました。
こういう場合はどうなるかというと、弟が兄の妻と結婚し、生まれた子を兄の子にして、父の家を相続させる風習がありました。レビラート婚と呼ばれるもので、イスラエルでも申命記25:5-6で法制化されています。マタイ22:23-33の記事は、このおきてを下敷きにしているものです。

ところが、エルの妻タマルと結婚することになった次男オナンは、たとえ男児が生まれても、自分の長男ではなく兄の長男になってしまうので、タマルと交わるたびに避妊した、と記録されています。それがヤハウェの意に反することであったので、彼もまた死にました。

こうして、三人の息子のうち二人までも死に、ユダはあわてました。今度は三男シェラがタマルと結婚し、兄のために男児を得なければならない番なのですが、仮にシェラまで死んだらユダの血筋は絶えてしまう。
ユダは「タマラは縁起が悪い嫁」とでも思い込んだのか、「シェラが成人するまで」と口実をつけて、タマルを実家に送り返したのです。

しかし年月が経ち、タマルは、ユダが自分とシェラを結婚させる意志のないと気付きました。そこでタマルは一計を案じ、ユダが近くに来ると聞いた折り、娼婦の姿になりユダの前に現れました。

多くの多神教信仰と同様、カナン人も性行為は豊穣につながると考えていたようで、ユダは顔を隠して現れたタマルをカナン人の神殿娼婦だと思い、一夜の関係を持とうとします。交渉の上、一夜の代価はあとで届けることとなり、それまでの担保としてユダの身元を保証する印章と杖を渡すこととなりました。ところがタマルは、コトが済むと、代価が届けられるのを待つことなく姿を消したのです。

こうしてタマルは舅ユダと交わり、最初の夫エルの血とつながる命を宿しました。
しかしこれは、タマルにとっては命の危険をともなう賭け。ユダがシェラと結婚させないという事情はあっても、タマルは、エルのためにシェラによって後継ぎを生まなければならない身なのです。帰省中に妊娠したとあっては姦通の罪にも問われます。はたしてユダは[あの女を引きずり出して、焼き殺してしまえ]と言いだしました。

しかしここで、タマルがユダから手に入れておいた証拠の品の出番。タマルはユダに使いを出し、自分が妊娠したのはこの印章と杖の持ち主によるものだと言いました。姦通罪であれば、男女とも罰されるのです。

娼婦に与えたはずの印章と杖を目にして、タマルの"仕掛け"を知ったユダは、[わたしよりも彼女の方が正しい。わたしが彼女を息子のシェラに与えなかったからだ]と自分の約束不履行を認めざるを得ませんでした。

さて、タマルの胎にいたのは双子でした。出産のとき、先に手を出した子に助産婦が真っ赤な糸を結んで目印にしましたが、その子は手を引っ込め、もう一人が先に出てきました。このため、この子はペレツ(出し抜き)と名付けられ、先に手を出した方はゼラ(真っ赤)と名付けられました。

そしてこのペレツがユダ家の正嫡となるのです。なにやらヤコブと兄エサウの話を思い出させます。兄をさしおいて弟が家を継ぐというのは、古事記にも見られるモチーフですが、キリストの系図において何度も繰り返されるのを見ると、まして嫁と舅(しゅうと)のあいだにできた子の血筋から世を救うキリストが現れたということを考えると、ヤハウェの計画は人の思いや常識を超越して実現するということを示すとしか言いようがありません。そしてその不思議さも、このユダの物語がわざわざここで記録されている理由のひとつでしょう。

解説

ヨセフの物語がはじまったとたん、なぜユダの物語が挿入されているのか。

37章2節に「ヤコブの家族の由来は次の通りである」とありますが、「由来」と訳されている言葉は、以下の箇所では「系図」「物語」とも訳されています。

「これが天地創造の由来である」(2章4節)
「これはアダムの系図の書である」(5章1節)
「これはノアの物語である」(6章9節)
「セム、ハム、ヤフェトの系図は次のとおりである」(10章1節)
「セムの系図は次のとおりである」(11章10節)
「テラの系図は次のとおりである」(11章27節)
「イサクの系図は次のとおりである」(25章19節)

創世記そのものが、一巻の系図になっていると言えるかもしれません。天地創造にはじまり、アダム-ノア-セム-テラ(アブラハムの父)-イサクとつながってきて、ここからはヤコブの系図だ、と37章2節は言っているのです。

次回より、ヨセフの物語に戻ります。

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2版:2003年05月19日

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