創世記 第48回

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ヨセフの旅立ち(37章12~36節)

ヨセフのふたつの夢は同じ意味で、しかもやがて実現することになります。でもヨセフは二重の意味で愚かでした。
第一に、言えば兄たちがどう思うかを承知で(あるいは思いやろうともせず)に「こんな夢を見た」と得意がるという人間性において。
第二に、信仰において。「創造者ヤハウェがこの夢の通りに自分を取り扱おうとしている」と信じるなら、それが自分に何か功績があってのことではないのだから、謙虚に神意を受けるべきでした。
しかしヨセフの高慢のゆえに、兄たちはヨセフを憎み、ついに殺すことを考えるようになっていったのです。

ある時、兄たちが遊牧にでていたとき、ヤコブはヨセフを使いに出して、様子を見てくるように言いました。
兄たちは、ヨセフが来るのを見ると、[例の夢見るお方がやって来る。あれを殺して…あれの夢がどうなるか、見てやろう。]と相談しはじめたのです。

ヨセフの見た夢をヤハウェが見させたものだと理解していながら「ヨセフを殺してその夢がどうなるか試そう」というのは、創造者に対するよこしまな挑戦です。それは、してはならないことだ。そう思った者が兄弟たちのなかにも2人いました。長兄ルベンと、四男ユダです。
自分たちもヨセフを憎んでいますから、他の兄弟たちの怒りはよくわかります。しかし弟を殺すなど、まして創造者にケンカを売るなど、とんでもないことです。ルベンとユダはそれぞれで、ヨセフを生かして父のもとに帰す算段を始めました。

長兄ルベンは「殺すことはないだろう。ヨセフがいなくなりさえすれば、俺達は満足じゃないか。このあたりの荒れ野には深い穴がいくらでもあるから、そこに投げ込むだけにしておこう」と提案しました。あとで助け出そうという作戦です。

兄弟たちも長兄から冷静にいわれて、たしかに殺すこともないかと考え直しました。
そして、ヨセフが近づくと捕らえて、あの晴れ着、父のヨセフに対する溺愛の象徴であり、ヨセフの高慢の象徴だったあの晴れ着を剥ぎ取って、彼を穴に投げ込んだのです。

この冷酷な仕打ちのあと、その穴のわきで彼らは食事にしました。あのいまいましいヨセフめ、ざまあみろ。これで父も少しは 我らに目を向けてくれるだろう。そんなことを考えながら、祝宴ムードだったのではないでしょうか。

さて、「あとでヨセフを救い出そう」と思っていたルベンですが、彼が席を外している間に状況が変わりました。隊商が通りかかったのです。
ルベンのヨセフ救出計画に気付いていないユダは、彼なりにヨセフの命を救おうと、兄弟たちに提案しました。「殺しても何の得にもならない。それよりは奴隷として売って儲けよう。ヨセフも肉親なのだらか、手にかけるのはやめよう」
それで兄弟たちはヨセフを穴から出し、銀二十枚で隊商に売ったのです。

ルベンが穴のところに帰ってくると、そこはもぬけのからでした。彼は「ヨセフを自分たちが穴に投げ入れたが、いなくなった」と父に言うわけにいかず、ユダたちも「自分たちが売り飛ばした」と言うわけにもいかず。
彼らはヨセフの晴れ着をヤギの血にひたして父に見せました。この時のヤコブについて、聖書はこう記録しています。

「これはわが子の長服だ。悪い獣にやられたのだ。ヨセフはかみ裂かれたのだ。」ヤコブは自分の着物を引き裂き、荒布を腰にまとい、いく日もの間、その子のために泣き悲しんだ。彼の息子、娘たちがみな、来て、父をなぐさめたが、彼はなぐさめられることをこばみ、「私は、泣き悲しみながら、よみ(あの世)にいるわが子のところに下って行きたい」と言った。こうして父は、その子のために泣いた。

こうして、ヤコブはヨセフを溺愛した結果を、ヨセフは増長した結果を、兄たちは罪を背負ったのです。

一方、ヨセフがどうなったかというと、あの隊商はエジプトに行き、ファラオの侍従長ポティファルにヨセフを奴隷として売りました。ヤハウェはヨセフの人生にどんなことを計画しているのでしょうか。

解説

イサクはヤコブを手放し、そしてヤコブはイサクから離れたところでヤハウェに出会いました。
アブラハムもヤハウェの言葉のままにイサクを手放すことを決め、そしてイサクはヤハウェのものとされました。
今回、ヤコブはヨセフを手放し、ヨセフは自分を溺愛してくれる父から遠く離されました。しかしこれをスタートとして、ヨセフもヤコブも変わっていくのです。

隊商は「イシュマエル人」だったという記録と「ミディアン人」だったという記録が同時に出てきますが、ここではイシュマエル人とは商人という意味で使われていると解釈されるようです。
「商人」という言葉はもともと、古代中国の「商」という国の人、という意味だそうです。この国の人たちは、あきないがとても上手で国も栄えたので、生産ではなく売買を生業とする人を(商の出身でなくても)商人と呼び、その職業を商業と呼ぶようになったのだとか。イシュマエル人というのもそういうニュアンスではないかと思います。
ちなみに、イシュマエル人もミディアン人もアブラハムの子孫です。

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2版:2003年05月19日
更新:2011年10月14日

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