創世記 第40回

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ヤコブvsラバン[最終ラウンド](31章22節-32章1節)

ラバンが遠出から帰ってみたら、金のなる木(ヤコブ)も、娘たちも、孫たちもいない。ヤコブの分の家畜もいない。しかも大事な神像までなくなっている!
ラバンは一族を率いて追跡を開始、7日目にヤコブに追いつきました。ヤコブがテントをはって宿営していたので、ラバン側もテントをひろげて陣を張り、それから両者は会見に臨みました。

戦い

まずラバンから、言い分を主張しました。
「わたしをあざむき、娘たちを捕虜のように駆り立てて行くとは。なぜ、こっそり逃げ出したりして、わたしをだましたのか。ひとこと言ってくれさえすれば、盛大に送り出してやったのに、孫や娘たちに別れの口づけもさせないとは」

ヤコブをだましつづけ、ヤハウェがヤコブに与える祝福のおこぼれを狙って財産を増やしてきたくせに、まったく「よく言うぜ」ってなものです。
が、手勢を率いてきたラバンと争うことになれば、ヤコブに勝ち目はない。さてどうしたものかというところで、なんとラバンがこんなことを言い出したのです。
「力づくに出ることもできるんだぞ。ゆうべ、お前たちの父の神が夢に現れて、『ヤコブを一切非難せぬよう、よく心に留めておきなさい』とお告げを受けたから差し控えているが、それにしたって守り神の像を盗んだのはどういうことだ」

ラバンは、自分が優位なのにあえて温情をしめしてやっているのだ、というつもりだったでしょうが、逆にヤコブは「ヤハウェが介入してくれているのか!」と、かえって力づけられたのです。天佑を確信したヤコブは、もう遠慮なく強気で抗弁をはじめます。

「だまって逃げたのは、あなたのことだから、わたしの妻子を奪い取るのではないかと心配したからだ。神像などは知らん。探したいだけ存分に探せ」
むしろ、自分とヤハウェとの関係に、盗んでまで偶像を持ち込むような者があれば、裁かないわけにはいかない。それで「神像が誰かのところで見つかれば、その者を生かしておかない」とまで言い切ったのです。犯人が、最愛の妻ラケルだとも知らずに。

ラバンは、まずヤコブのテント、続いてレアや、召し使いビルハとジルパのテントを捜索し、ラケルの天幕にやっきました(家庭内別居というわけではなく、女性は別棟に居住するのが普通だったのです)。ラケル危うし。
しかし犯人のラケルは、神像をらくだの鞍の下に入れてその上に座り、女性の月のもののために立てないとラバンにわびます。のちに戒律でも、生理中の女性はけがれているとされますが(*1)、このころから中東で広くそういう考えはあったのでしょう。そうでなくても、まさかありがたい神像を娘が尻の下に隠しているとは思いもせず、ラバンは神像を見つけられませんでした。

決着

家宅捜索の不発を見てヤコブは、この20年分の怒りが爆発。あるいは、今回もラバンが自分をまただまそうとした、と思ったか?

「見つけられたのなら、この場にいる全員の前でどっちが正しいかみんなに決めてもらおうじゃないか。この20年というもの、私があなたの群れの世話をしていて、家畜が子を産み損ねたことはない。あなたの群れの雄羊を食べたこともないし、野獣に殺されたものも盗まれたものも、私が弁償した(*2)。見張りのために、この厳しい土地で昼は猛暑に夜は極寒に悩まされ、眠ることもできなかった。この20年間のうち、14年はあなたの2人の娘のため、6年はあなたの家畜の群れのために働いたというのに、あなたはわたしの報酬を十回も変えた。
もし、神ヤハウェがわたしの味方でなければ、あなたはきっとわたしを手ぶらで追い出したことでしょう。神は、わたしの労苦と悩みを目に留められ、昨夜、あなたをさとされたのです」

契約

ラバンはもう、「裸一貫で来たヤコブがいま故郷に持ち帰ろうとするのはすべて私の物だったものだ、しかし娘や孫たちのために手出しは控えよう」と強がるのが精一杯でした。

勝負あり、というところで、ヤコブとラバンは石塚をつくり、双方とも敵意を持ってこの石塚を越えることのないように、と誓いあいました。
そして和解の証明として食事をともにすると、ラバンは翌朝はやくに娘と孫たちに口づけして祝福し、(内心はどうかわかりませんが)平和のうちに帰って行ったのでした。

そしてヤコブは、いよいよ父イサクのもとに向かいます。が。実家では、兄エサウがヤコブの命を狙っているはずなのです。
エサウの怒りは解けているのでしょうか。。。


解説

ラバンもこれだけ分が悪くなれば、ヤハウェの介入がなければ手勢にモノをいわせる展開は必至だったでしょう。でもヤハウェは、信じる者の盾になって守る神なのです。
たとえばダビデは、先王サウルに不当に命を狙われたあと、次のような歌いだしではじまる長編の詩でヤハウェをたたえました。

主はわたしの岩、砦、逃れ場
わたしの神、大岩、避けどころ
わたしの盾、救いの角、砦の塔。
わたしを逃れさせ、わたしに勝利を与え
不法から救ってくださる方。   (サムエル記下22:2-3)

詩編にも「主はわが盾」という表現が多くでてきます。


*1 レビ記15:19,28

*2 ハムラビ法典では、羊飼いに落ち度がない限り、病気・天災・ライオンにより羊が失われた場合は羊飼いの責ではなく所有者の損失であるとされた。

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2版:2003年04月11日

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