創世記 第36回

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ヤコブの逃亡(27章41節~28章9節)

言ってしまえば、人知を超えてヤハウェの予告が実現しただけ。とはいえ、家族はもうガタガタです。エサウはついに「父の喪の日も遠くない。そのときがきたら、必ず弟のヤコブを殺してやる」とまで考えるようになりました。

そうと知った母リベカは、ヤコブに、自分の故郷にいる兄ラバンのところに逃げ、エサウの怒りが収まるのを待つように言います。「一日のうちにお前たち二人を失うことなど、どうしてできましょう。」とリベカが言っているのは、アダムとエバが二人の息子を一日のうちに失った(カインがアベルを殺し、カインは追放された)ことを思い出させます。

アブラハムの家臣がイサクの嫁を探しに来た時にも、とにかく走って行動したリベカですが、イサクをだます計略といい、相変わらず行動のすばやい人です。
リベカはさっそくイサクに「エサウの嫁のヘト人のことで、生きているのがいやになりました。もしヤコブまでヘト人を嫁にしたりしたら」と、イサクから、ヤコブにラバンのところに行くように言わせました。
これにイサクも賛成。エサウがヤコブを狙っているのを知って、リベカが相談に来たのを機会にヤコブを逃がそうとしたかもしれません。とにかくヤコブはラバンのもとに送り出されました。

しかし、20年後にヤコブが帰ってきたとき、リベカは登場しません。このヤコブの出発が、リベカにとっては愛する息子との最後の別れになったようです。ヤコブも、晩年に「生涯の年月は短く、苦しみ多く」(他の訳では「ふしあわせで」)と振り返ることになる、多難な人生を生きることになります。

一方エサウは、ヤコブが送り出されたのを見て自分の結婚が喜ばれていないことを初めて知り、一族からならよかろうと、イサクの異母兄イシュマエルの家からあらたに嫁を迎えます。
エサウなりの改善策ですが、イシュマエルもヤハウェの契約からはずれたところにいるため、何の意味もないのです。むしろ場当たり的な策は、彼の安易さを露呈するばかりです。見た目にとらわれ、創造者との関係で考えることができなかったのが、彼のつまづきでした。

ジェイコブス・ラダー(28章10~22節)

伯父ラバンのもとへ旅を続けるヤコブは、ある夜も砂漠で野宿することになり、石を枕に眠りにつきました。その夜彼が見た夢は。
地から、天にまで届く階段が伸びていて、天使たちが上り下りしているのです。それだけではありません。その光景を見るヤコブのすぐそばにヤハウェがあらわれ、「わたしは、あなたの父祖アブラハムの神、イサクの神、主である」と言うじゃないですか。

そしてヤハウェは次のとおり、アブラハムとイサクに約束してきたことをヤコブにも誓いました。

今ヤコブは、兄に命を狙われて逃亡中です。気休めにも前途洋々とは言えません。でもヤハウェは「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り(中略)あなたに約束したことを果たすまで決して見捨てない。」と断言したのです。

ヤハウェを信じる者にとって、これ以上力づけられる約束はありません。そしてこの約束はヤコブだけでなくヤコブの子孫をも、その過酷な運命のなかで支えていくことになります。

ヤコブは目が覚めると「ここは、なんとおそれ多い場所だろう。これはまさしく神の家である。そうだ、ここは天の門だ。」とあわてふためきます。そして、枕の石を記念碑に地に立てて油をそそぎ(参考→レビ記8:11)、その地を「神の家」(べテル)と名付けて記念しました。

そして、創造者が与えてくれるもの(=収入)の十分の一を奉納する、と誓願を立てたのです。これはのちに戒律に規定され(レビ記27:30)、ヤコブの子孫の守るべきことになります。

おまけ

「そんな夢を見たからどうだっていうんだ」と思われるかもしれませんが、聖書では、ヤハウェが夢やまぼろしを通して、将来のことなどを人に語ることがよくあります。(例:マタイ福音書1:20、使徒2:17、他多数)

日本語では「夢まぼろしのごとくなり」というと、はかなくてあやふやなことのような印象ですが、聖書では、実現することが確かなヴィジョンという位置付けです。

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2版:2003年04月10日

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