創世記 第35回

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イサクがそろそろ、主役の座を降りようとしています。ということで、今回からヤコブ編です。
ヤコブはのちにヤハウェから『イスラエル』という名を授かります。彼の12人の息子が、イスラエル12部族の祖となるのです。

エサウの結婚(26章34節~35節)

[エサウは、四十歳のときヘト人のユディトとバセマトを妻として迎えた。彼女たちは、イサクとリベカにとって悩みの種となった。](抜粋)と記録されています。
この「悩み」は、嫁姑の不和というだけではありません。

イサクが一族の故郷からリベカを妻に迎えたのは、ヤハウェとの関係を守るために、ヤハウェ以外のものを神とする地元の人と結婚するのを避けるためでした。実際、聖書には、英雄サムソンから名君ソロモンまで、他民族の異性のゆえにヤハウェとの約束を破ることになった例がいくつもあります。

当然イサクは、長子エサウの結婚相手も慎重に考えていたでしょう。が、長男の権利をパンと煮物で弟に売ってしまったことといい、どうもエサウは認識が甘いような気がします。

ヤコブの謀略(27章1節~40節)

エサウとヤコブが生まれる時、ヤハウェは「兄が弟に仕えるようになる」と告げていました。しかし。

ヤコブは、ヤハウェに頼るより自分の知恵に頼って、長子の権利を兄からだまし盗りました。
エサウは、パンと一杯の煮物で長子の権利をヤコブに売り、長子の権利を軽んじました。
イサクは、お告げを無視してエサウに家督を継がせようとします。
そしてリベカは、お告げが実現する時を待つより自分の計略で、ヤコブを跡取りにしようとするのです。

「罪」と訳されているヘブライ語のひとつは「的をはずす」という言葉から来ています。四者四様に的はずれなこの家族は、やがて兄が弟の命を狙うなどという事態を招くことになります。

イサクをだます(27章1節~29節)

エサウを後継者と考えていたイサクは、みずからの死期を思うようになって、「わたし自身の祝福をお前に与えたい」とエサウに言いました。ヤハウェとアブラハムの契約を自分が相続したことで、自分もヤハウェに祝福され裕福にもなった。それをエサウに相続しよう、というのです。

イサクが、「ところで死ぬ前にもう一度エサウの獲物の料理が食べたい」と言うので、狩猟の鉄人エサウは「いよいよ俺の時代が来た」とばかり、喜び勇んで野に出て行きました。
長子の権利をヤコブに売ったことを忘れてしまったのでしょうか。だとしたらなおさら、前回長子の権利を軽んじていたことになります。

一方、このやりとりを聞いたリベカは、エサウを出し抜いてヤコブを跡取りにしようと考えます。ヤコブをエサウに変装させてイサクの祝福を受けさせ、家督を横取りしようというのです。
おだやかな人ヤコブはさすがにびびりましたが、リベカには勝算がありました。すでに夫イサクの視力は弱っています。リベカは、ヤコブの腕や首に子山羊の毛皮を巻き、エサウの着物を着せ、料理を持たせてイサクのもとに送りこみました。

イサクは、「エサウです」と名乗るのがヤコブの声なので、不審に思います。しかしヤコブは、ヤハウェのご配慮でこんなに早く獲物を獲って来れたなどと、だますために創造者の名を利用したのです。
イサクが腕にさわってみると確かに毛深い。毛皮でだませるのだから、エサウの毛深さは相当なものだったのですね。ヤコブが着ているエサウの晴れ着の匂いにもだまされました。そしてイサクの好みを知り尽くした妻の料理。
リベカは視覚の弱った者につけこんで、触覚、嗅覚、味覚でだましたのです。

とどめは、ヤコブのイサクへの口づけでした。親密な愛と信頼関係を示すはずの口づけをも利用したのです。(*1)

完全にだまされたイサクは、ヤコブを祝福しました。その内容は要約すると、

というもので、ヤハウェとアブラハムの契約を継承させるものでした。また、ヤコブが兄弟たちの上に立ち家督を継ぐ事が宣言されてしまったのです。

エサウ絶叫(30節~40節)

すべてが決まってしまったあと、そうとは知らずにエサウが帰ってきました。驚いたのはイサクです。エサウが「私の獲物を食べて、祝福を与えて下さい」というと、びっくりして「お前は誰だ、さっき獲物を持ってきたのは誰なんだ、私はそれを食べて彼を祝福してしまった、と言うのです。

イサクは「激しく体を震わせて言った」と記録されています。直訳すると、「大きな”おののき”を非常におののき」となります。聖書では珍しいほどの強い表現で、イサクの受けた衝撃を記録しています。
ヤコブにだまされたという事実。最愛の妻にもだまされたという事実。エサウに、もはや何も与えられないという事実。その一つ一つが、「家督をエサウに」という自分の思いを超越してヤハウェの予告が実現したことへの、驚きと畏敬となりました。
虚偽申告によるヤコブへの祝福は無効にしていいのではという気もします。でも神意をさとったイサクは、ヤハウェの予告を無視してエサウに家を継がせようとした誤ちを悟ったのです。

しかしエサウは、あまりの事態に絶叫し激しく泣きます。長男である自分のものと思って疑わなかった家を弟に奪われた衝撃。ヤハウェの恵みから切り離されたという衝撃。
しかし、自分を被害者として主張しても、「長子の権利などどうでもよい」(25:32,34)と言った責任をまぬがれることはできません。

悲痛なエサウにイサクは「すでにヤコブをお前の主人とし、親族をすべて彼のしもべとし、穀物もぶどう酒も彼のものにしてしまった。今となってはおまえのために何をしてやれよう」としか答えられませんでした。そして祝福をヤコブのものにしてしまった今、エサウに与えられるのは、祝福の対極、呪いとなってしまったのです。それは要約すると

というものでした。そしてこれらは実現するのです。
エサウの子孫の地エドムは、農耕には向きませんでした。そしてエドム人は、ヤコブの子孫イスラエル人に、ダビデ王の時代に負けて支配されるのです。(サムエル記下8:13-14)
でもイサクが「いつの日にかお前は反抗を企て、自分の首から軛(くびき)を振り落とす」と付け加えたように、のちに反旗を翻して独立することになります。(列王記下8:20)。

おまけ

祝福の「祝」は、「兄」の前に、神を表す「ネ」を置きますね。「呪」は「兄」の前に「口」です。
エサウの没落(?)は、兄が、神ヤハウェの契約を含む長子の権利よりも、食べることを取った結果、祝福を受けるはずが呪いを受けたというストーリーなんですね。

ヘブライ語でも語路合わせになっているのです。エサウは長子の権利(ベコーラー)を軽んじたために、祝福(ベラーカー)を逃がした、と。


*1 イスカリオテのユダも、口づけでキリストを裏切りました。→マルコ福音書14:44-45

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2版:2003年04月10日

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