創世記 第26回

menu

ソドムとゴモラ[2](19章1節~29節)

アブラハムのもとを立った三人の旅人(実は主なる神と二人の天使)のうち、ヤハウェはアブラハムとの会談のあと天に戻り、二人の天使は道を進めてソドムに到着しました。

この時、アブラハムの甥であるロトは、ソドムの門のところに座っていました。町の門は、商取引や裁判などが行われる場所、また社交の中心です。ロトがそこに座っていたということは、ソドムである程度の地位にあったことを示します。アブラハムと別れた後のロトは、ソドムの近くで遊牧生活をしていたはずなのですが、先の戦争にも巻き込まれたとおり、いつの間にかソドムの住人となっていたのです。
使徒ペトロはロトについて、「不道徳な者たち(=ソドムの住民)のみだらな言動によって悩まされていた正しい人」(ペトロの第2の手紙2:7)と書いていますが、逆にいえば、不道徳な者たちのみだらな言動によって悩まされながらも、そこから離れることができないでいた、とも言えます。

ロトは二人の旅人を見ると、アブラハムがしたのと同様に迎えようとします。ロトもまた、二人が主の使いであるとは気づきませんでした。
しかしこのために騒動が起きます。ソドムの町の男たちが、若者から年寄りまでもロトの家に押し掛けてきたのです。この町の男たちの目的は、ロトのもとを訪れた二人の男をレイプすることでした。
そこでロトは、客を家に迎えた者として二人を守るために、代わりに自分の二人の未婚の娘を差しだそうとします。

アブラハムの時にも紹介したように、客をもてなせるかどうかは、あるじの面目がかかっていることです。しかしロトのこの行動は、おのれの面目を守るために自分の娘をも犠牲にするというものです。これでは、恥をまぬがれるために別の恥を負うというだけではないですか。
どうやらロトは、ソドムに染まったために判断の基準がずれてしまっているのです。

この危地は、二人の天使がソドムの男たちの目をくらましたことで回避されますが、ソドムの現状はすでに明らかにされました。もはや滅ぼされるほかはありません。
しかし天使は、アブラハムとヤハウェの約束のために、この町に正しい者がいるかを(結果は知っていたはずだが)一応、確認します。その結果は、

ロトは嫁いだ娘たちの婿のところへ行き「さあ早く、ここから逃げるのだ。主がこの町を滅ぼされるからだ」とうながしたが、婿たちは冗談だと思った。(19:14)

ロトと妻と、まだソドム人に嫁いでいない二人の娘の4人以外、ソドムには10人どころか1人も正しい人はいなかたったのでした。

夜明けになって、天使はロトに、家族を連れて避難するようにと言います。いよいよこの罪の町を滅ぼすのです。しかしなお、ロトは逃げることを戸惑っていました。繰り返しになりますが、ロトはソドムに染まっていたのです。財産に対する執着か、婿たち同様に「滅ぼす」というヤハウェの意志が非現実的に感じられたのか。
そんなロトを主は、ロトの信仰のゆえにではなく、ロトを憐れんだという理由で、強制的に町の外に連れ出したのでした。

しかしなおロトは、不信仰という意味ではソドムに染まっています。山に逃げろという天使に、とても山までは逃げられない、ソドムを裁く裁きに巻き込まれてしまう、近くの小さい町までは逃げるからそこで助けてくれ、というのです。一方的な憐れみによって助けてくれようとしているヤハウェに対して、図々しいとも言える態度。

しかしヤハウェはこれを聞き入れます。ヤハウェが裁くとき、その裁きは決定的です。しかしヤハウェが救うとき、その救いは確実なのです。
ヤハウェは、ロトがその小さい町にたどり着くのを待ってから、ソドムとゴモラを、また低地一帯を、火で滅ぼしました。(*1)

こうして罪の町の住民は、みずからの罪のゆえに滅ぼされました。が、これでめでたしめでたしではありませんでした。
[命がけで逃れよ。後ろを振り返ってはいけない。低地のどこにもとどまるな。山へ逃げなさい。さもないと、滅びることになる。]と言われていたのに、ロトの妻は振り返ってしまったのです。このためにロトの妻も塩の柱となって命を落としてしまいました。(*2)
ソドムでの生活、置いてきた財産、そういったものに気持ちが行ったのでしょうか。私たちは彼女を笑えないかもしれませんが、振り向けば滅びると言われていた以上、ロトの妻は、自分で滅びる方を選んだのです。(*3)
そして、逃げ伸びたロトと娘も、あわれな道をみずからたどることになります。

解説

このソドムの記録を、同性愛者を差別する根拠とするのは、二重に誤った考えです。

第一に、確かにソドムの男たちはロトの客となった二人の男を差し出せと迫りましたが、同性愛者だから滅ぼされたのではないということ。
逆に聖書では、たとえばダビデと王子ヨナタンの愛(サムエル記上18章)については、むしろ賞賛されるべき愛として書かれています。また、イエス・キリストも「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしのおきてである。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」と教えています。
愛は神から来るもので、そこに同性愛とか異性愛とかの区別はありません。

聖書が罪としているのは、結婚外の肉欲的な交わりです。これは異性間か同性間かの区別なく、姦淫の罪になります。
ソドムが裁かれたのは、同性愛のためではなく欲望優先の考え方、そのために本来は旅人を保護する義務がありながら危害を加えようとしたこと、思慮分別を期待される老人まで含めて町ぐるみで加担したことなどなどなどなどのためです。

第二に、そもそも人には他人を差別する権利などもとからないということです。
イエス・キリストは、人を裁いてはならないと教え(マタイ7:1-2)、人はみな罪があるのだから他人の罪を責めることはできないと言っています(マタイ7:3-5、ヨハネ福音書8:3-7)。
人を裁く権威、つまり人を有罪に定める権威と、罪人をゆるす権威を持っているのは、ヤハウェと、ヤハウェから権威を与えられたキリストだけです。

年表

聖書の各記事の年代については,さまざまな説が提示されていて、しかし史料不足から決定力を欠いています。このため、ここにあげるのは必ずしも確定的なものではありませんが、参考として。

紀元前????ソドム滅亡(いつだったかは不明)

*1 ソドムをほろぼした「火」については、地質学的に火山噴火の可能性はないそうです。地震の際に雷が発生することがありますが、硫黄、アスファルト、地震で噴出した石油などに、落雷で引火した可能性が考えられます。
そうだったとして、その自然現象も偶然に起こったのではなく、ヤハウェのさばきとして引き起こされたのです。

*2 ソドムは死海南方に沈んでいると考えられています。塩分濃度が高いことで知られる死海は塩が結晶化し、柱のようになること自体は珍しくありません。時には10メートル以上の高さにもなります。現地を旅行した方に聞いた話ですが、現地でガイドに「どれがロトの妻だ?」と尋ねたら、こう言われたそうです。
「どれでも好きなやつを選べ」

*3 参考→ルカ福音書17:29-32

前へ 上へ 次へ

2版:2003年03月17日

布忠.com