創世記 第21回

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アブラムの戦い[後編](14章)

戦後処理

凱旋したアブラムを、二人の王が出迎えました。サレムの王メルキゼデクと、ソドムの王ベラです。

メルキゼデクは、天地の主であるヤハウェがアブラムを祝福されるように、と祈りましたが、「アブラム、あんたはエライ」とは言わないのです。
この勝利はアブラムが自分の力で得たのではなく、ヤハウェが敵をアブラムの手に渡されたからであること、つまり勝利の栄光はヤハウェのものであるとのだと言って、ヤハウェがたたえられるようにと賛美しました。
王であると同時にヤハウェの祭司であるメルキゼデクのこの言動に、アブラムの信仰はまた一歩、成長したようです。メルキゼデクの祝福を受け、すべてのものの十分の一をこの祭司に、つまりヤハウェにささげたのです。

一方、ソドムの王ベラは、アブラムに「人はわたしにお返しください。しかし、財産はお取りください」と願いました。
このことばは、ヤハウェにではなく人間アブラムに対するものでした。そして、その戦利品はもともと自分のものだと所有権を主張し、人だけでも取り返そうとしているのです。
これに対するアブラムの返答[あなたの物は、たとえ糸一筋、靴ひも一本でも、決していただきません。『アブラムを裕福にしたのは、このわたしだ』と、あなたに言われたくありません]ということばは、アブラムの潔癖さというよりはむしろ、ベラに対してブチ切れた、とも思えます。

がしかし、アブラムは冷静さを失ったわけではありませんでした。自分は勝利の栄光をヤハウェに帰し、報いもヤハウェからいただくのだから、おまえごときから何一つもらう必要はない、としながら、これはヤハウェを信じる自分だけの話しであって、同労者(ともに戦ったアモリ人たち)には分け前をとらせることを主張するのです。
自分の「信仰による価値観」を、他人にまで強制することは、アブラムはしなかった。これに学んでいれば、「キリスト教国の正義」を振りかざす戦争は、世界史になかったのかもしれません。

祭司メルキゼデク

さて、祭司であり王であるメルキゼデクは、イエス・キリストの予表(あらかじめ表わされたもの。プロトタイプ)であると考えられています。
旧約聖書では詩編110:4で、主なる神がダビデ王に「あなたはとこしえの祭司メルキゼデク」と言ったと歌われています。これについて新約聖書のヘブライ人への手紙7章では、これはダビデの子孫イエスが、永遠の祭司であることを言っているのだと、説明しています。

しかしメルキゼデク自身については、詳しいことはわかりません。聖書に登場するのは創世記14章のみ。系図どころか父の名も不明で、突然あらわれて忽然と消えるのです(月光仮面か?)。

じゃあ結局何者?ヘブライ人への手紙7:4では、かなり偉大な人物だったようですが、詳しいところはわかりません。名前の意味は、「メルキゼデク」の意味は「義の王」であり、サレムは平和の意味なので、「サレムの王」とは「平和の王」の意味であると説明されていますが、あとは不明。

興味のある人は、ヘブライ人への手紙7章を読んでみてください、と言いたいところなんですが、ヘブライ人に読まれるために書かれているので、読んでも難しいかもしれません。(→おまけ)

わからないものは仕方ないので、先へ進みましょう。

おまけ

ヘブライ人への手紙は、イスラエルから見て外国に住むヘブライ人(イスラエル人)の中でクリスチャンである人、に向けて書かれています。つまり、ヘブライ人であれば説明不要なことについては、くどくど書いていません。

メルキゼデクについても、ヘブライ人であれば誰でも「ピンとくる」名前だったのでしょう。たとえば野球好きな人が、ベーブルースと言われれば「ピンとくる」ように。
ベーブルースがどんな人か、どんな記録を持っているのか、詳しいことをしらなくても「ベーブルースみたいなすごい選手」という表現を聞いたら、なんとなくすごさが想像できるような気がしますよね。

ヘブライ人にとって、「(キリストであるイエスは)メルキゼデクのような偉大な祭司」であると言われるだけで、キリストがどういう方かイメージできるような、そういう人物だったのでしょう。

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2版:2003年03月11日

布忠.com