創世記 第20回

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アブラムの戦い[前編](14章)

カナンが戦場となり、アブラムの甥ロトも捕虜となります。これを救出しようと、アブラムが出陣。
突然、年代記っぽくなりました。が、これがいつのことであったかは不明(というわけで今回は年表を省略します)。

東の王たちの遠征

エラムの王ケドルラオメルの支配下にあった、死海周辺のカナンの町が反乱を起こし、同盟を結びました。ケドルラオメルはこれに対し、諸王と連合遠征軍を組んで南下します。その陣容は、
    シンアル(バビロニア)の王アムラフェル
    エラサルの王アルヨク
    エラムの王ケドルラオメル
    ゴイムの王ティドアル

これを迎え撃つ死海の同盟軍は、
    ソドムの王ベラ
    ゴモラの王ビルシャ
    アドマの王シンアブ
    ツェボイムの王シェムエベル
    ベラすなわちツォアルの王(名前不詳)

さて、ケドルラオメル率いる東軍は、まっすぐ死海同盟を目指したわけではありませんでした。途中の諸部族をたいらげながらヨルダン川東岸を南下し、死海の東を通り過ぎて、アカバ湾に近いエル・パランまで南進します。

この、ヨルダン川の東を南北に結ぶルートは、「王の道」と呼ばれる有力な通商路でした。この遠征の目的には紅海・エジプト・南アラビアを結ぶこの通商路の制圧・確保も含まれていたと考えられます。あるいはケドルラオメルは、この通商路の利権を配分することを餌に諸王の増援を得たのかもしれません。
考古学的にも、紀元前21~19世紀にこの街道沿いにかなり発達した文明の集落があったこと、それが前19世紀ころに徹底的に破壊されたことが認められるそうです。

「王の道」制圧に成功した東軍は、アカバ湾から北西に転じて、アモリ人を討ちいよいよ死海同盟軍に迫ります。
死海同盟軍は満を持して、というよりはことここに至ってやむなくという感じで挙兵。反乱を起こしたわりには勢いがないのは、東軍の目的を「王の道」確保だけと読んでいたのか。とにかくこの戦いはあっけない幕切れになりました。
聖書によると、死海の王たちが出兵し、陣を敷いて東軍に戦いを挑んだという記録の直後にはもう、死海の王たちの敗走の記述になっているのです。もしかして、戦わずに逃げたんじゃないか?

こうして死海同盟軍は破れ、諸都市は略奪されました。このとき、ソドムに住んでいたアブラムの甥のロトも捕虜にされ、連れ去られてしまったのです。
土地の選択権をアブラムからゆずられ、見た目のよさでソドムに近い土地を選んだロトの、その選択の結果の一つがこれです。

アブラム出陣

ロトの危機を知ったアブラムは、ただちに救出に向かいます。手勢は彼の奴隷のうち戦闘訓練を積んだ318人。
さらに、同盟を結んでいたアモリ人も戦列に加わりました。東軍の南征で討たれた同じアモリ人のためでしょう。

帰路も王の道を通ってヨルダン川の東を北上していったであろう東軍を対岸から追跡し、夜襲を成功。さらに現在のダマスカスの北まで追撃して、ロトたちをはじめとらわれた人たちを財産もろとも奪還。

聖書には東軍の戦力については記録されていません。しかし5人の王の連合(といっても都市の王か、ある程度の地域の王かで違いますが)であり、連戦を勝利して「王の道」を制圧、さらに死海同盟軍を瞬時に壊走させたのだから、そうとうの陣容だったことでしょう。

奇襲とはいえ、また300人余の兵力を持つとはいえ、遊牧民アブラムが5人の王の軍事力にそう簡単に勝てるものでしょうか。
聖書は、この勝利はヤハウェによるものとします(次号「戦後処理」参照)。聖書に記録されたイスラエルの戦いはすべて、ヤハウェとともにあるときには圧倒的不利でも勝利し、どんなに有利に見えてもイスラエルがヤハウェから離れたときには敗北したのです。

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2版:2003年03月11日

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