創世記 第10回

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アダムの系図(4章25~5章)

カインとアベルを失ったアダムとエバに、また子どもが与えられました。セトです。セトにはエノシュが生まれました。[主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。]と記録されています。新改訳では[人々は主の御名によって祈ることを始めた。]と訳されています。ヤハウェを神として礼拝しはじめたのです。

4章の後半から通して考えると、アダムの系図にはカインとセトのふたつの大きな系統があって、

ということを示しているように読めます。文明を生み出す知恵もヤハウェから与えられたものであるはずなのに、知恵と信仰を両立させるのは難しいのでしょうか。

継承

3節で、アダムは「自分に似た、自分にかたどった」跡継ぎを得たと記されています。親子だし、エバもアダムから造られたクローンみたいなものだし、似ていて当然ですが、肉体が遺伝子的に似ているということのほかに、もうふたつ重要な意味があります。

アダムも「神に似せて」創造されました。この「神のかたち」つまり、愛とか、ものをつくる喜びとか、正義を求める心、自由意思といったものがセトにも継承されたのです。

もうひとつアダムの性質が継承されています。ローマの信徒への手紙5:12に[一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだ]と書かれているのですが、「罪のかたち」つまり神に背を向けたいという思い、たまには悪いことをやりたいという思いも、セトに継承されたのです。

エノク

系図の一人一人を見ていくのはたいへんなので(名前が出てくるだけでよくわからない人も多いし)、みんな長生きだったんだなぁなどと思いながらさくさく進みましょう。

「Aさんは何歳でBさんをもうけ、そののち何年生きてさらに息子や娘をもうけた」というフォーマットで、アダムからノアまで記録されています。ところが一人だけ、妙な記述があるのです。

エノクは六十五歳になったとき、メトシェラをもうけた。…エノクは三百六十五年生きた。エノクは神と共に歩み、神が取られたのでいなくなった

65歳で子供ができたなんてくらいのことはどうでもいいです。もっと高齢で子供ができた人は聖書にいくらでもでてきます。
驚くべきはこのエノクという人物、死んでないのです!
ヘブライ人への手紙11:5には[信仰によって、エノクは死を経験しないように、天に移されました]とあります。

どのような信仰であったかはわかりません。聖書にはただ、エノクの生き方が、子が生まれた年から変わったと書いてあるだけです。父親になった自覚が彼を変えたのでしょうか。
ヘブライ人への手紙は[神に喜ばれていたことが証明されていた]と続けていますから、『確かにあの人は神を信じている』と周りの人にわかるような生き方をしていたのでしょう。エノクの信仰は「ヤハウェに従って」ではなく、「ヤハウェと共に」でした。アダム以来の人類はヤハウェから離反したのに、エノクはヤハウェのかたわらを歩んだのです。

「罪のかたち」のためにヤハウェから離れたものの、「神のかたち」も持っている人間は、ヤハウェのもとに帰りたいという思いを持ち続けています。
これだけ科学が発展しても宗教がなくならない。普段は信仰と無縁な人でも、何かあると人知を超えた存在に祈りたくなる。それは、ヤハウェへの帰巣本能のようなものなのかもしれません。

旧約聖書ではヤハウェが、新約聖書ではキリストが「わたしが一緒にいる」と何度も言っています。キリストは「人々からインマヌエルと呼ばれる」と予言されていましたが、その意味は「神は我々と共に(おられる)」です。
キリストを受け入れる者は、ヤハウェとともに生きられる。その大先輩がエノクというわけです。

解説

5章2節に「彼らを祝福されて、人と名付けられた。」とありますが、口語訳と新改訳では「彼らを…アダムと呼ばれた」となっています。アダムは1個人の固有人名であると同時に、土(アダマ)からつくられた人間すべても指すようです。

参考までに、他の訳ではこうなっています。

[彼らを、、、人と名付けられた](新共同訳)
[彼らを「人」と呼んだのです](リビングバイブル)
[named them "Human Beings."](現代英語訳聖書)
[called them Mankind](欽定訳改訂版)

おまけ

ユダヤ人は系図をとても大事にします。
子供に名前をつけるときは親族の名前をとって命名するのが普通だった(→ルカによる福音書1章61節)ので、一族の中に同名がいっぱいいたり、ということもありましたし、ファミリーネームもないので、名乗る時にはたとえば「ゼベダイの子、ヤコブ」と表現しました。

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2版:2003年02月28日

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