創世記 第7回

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失楽園その2(3章)

さばき(7節~19節)

深夜の江戸市中、どことも知れぬ一室で悪人同士が「俺たちが下手人だとは、おてんとうさまも気付くまい」とあやしく笑う。時代劇にありがちな場面です。
太陽が神なら、夜に悪事をはたらいても神にばれない?いえいえ、「太陽はわが作品」というヤハウェは、人目を避けた悪事も、人目につかないところでの善事も、ちゃんと見ています。当然、アダムとエバが何をしたのかもすべて見ていました。

しでかしたことに気づいた二人がまずやったことは、いちじくの葉で腰を覆い、さらにヤハウェを避けて身を隠すことでした。ヤハウェの掟(おきて)に逆らったアダムとエバは、ヤハウェの代理人として地上を管理するという栄誉から一転、神を恐れることを知ってしまいました。子孫繁栄という祝福の象徴であった生殖が、羞恥の象徴となってしまいました。

彼らは、悪魔の言うとおり賢くなったのでしょうか。知らなかっ知識を知りましたが、それは、知らないでいたほうがどんなに幸せだっただろうという知識でした。
「善悪の知識」なんて、人間にはいらなかったのです。「善」だけでよかったのに、この二人の先祖のおかげで人間は「悪(ヤハウェに反抗すること)」を知ってしまったのでした。

隠れて隠れきれるわけもなく、ヤハウェは二人に「取って食べるなと命じた木から食べたのか」と問います。
これにアダムは「あなたが私に与えた女が食べろといった」と答えたのです。妻を「あの女が」よばわりし、しかもヤハウェにまで責任転嫁しようとします。
エバはエバで「蛇がだましたので」と逃げようとします。

すべてを知っているヤハウェがあえて尋ねたのは、悔い改めの機会を与えるためだったのに。
悔い改めないアダムとエバ、そして彼らをそそのかした蛇=悪魔に、神の審判が下されます。

動物の中で一番かしこかった蛇への判決はこうでした。
[お前はあらゆる動物の中で呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、チリを食らう。お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く。]
こうして蛇は腹でチリの中を這い回り、今も女性に嫌われるようになったのです。また、エバの子孫である人類と、蛇の背後にいる悪魔との戦いが予言されています。(→解説)

エバに対する判決は[お前の出産の苦しみを大きなものにする。お前は男を求め、彼はお前を支配する。]というものでした。
アダムに対する判決は[お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。お前は死ぬまで、顔に汗を流して食物を得る]というものでした。出産のための苦痛が、男女間に支配関係が、収穫のための労働が、そして死が定められたのです。

神が愛なら、黙って赦してやることはできなかったのでしょうか。聖書にはこう書いてあります。

わが子よ、主の諭(さと)しを拒むな。主のこらしめを避けるな。かわいい息子をこらしめる父のように、主は愛する者を懲らしめられる。(箴言3章11-12)

ヤハウェの判決は愛するゆえの「こらしめ」だったのです。だから、出産が苦痛でも、その先にある喜びを目指して苦痛を超えていける。支配関係なんて言葉がおろかに聞こえるほどの愛情を育てることができる。労働が苦しくても、収穫や達成の喜びを目指して苦しみを超えていけるのです。

解説

お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に
わたしは敵意を置く。
彼はお前の頭を砕き
お前は彼のかかとを砕く。(創世記3章15節)

蛇の背後にいる悪魔への、ヤハウェの判決です。
悪魔が人間とヤハウェの間に置こうとした「敵意」を、ヤハウェ人間と悪魔のあいだに置いたのです。この結果、わたしたちは悪への誘惑と戦うことになりました。

「本当は悪いこと」それはわかる。だけど「みんなやってる」「誰も見てない」「やらないと自分が損する気がする」なんて悪魔がささやく。
この戦いに勝てるのはよほどの聖人君子だけ?でもヤハウェは「痛い思いはしても、最後には勝てる」と断言しているのです。

この予言にはもう一つの意味があります。エバの子孫として世に現れるキリストvs悪魔という予言でもあるのです。
悪魔は敵意むき出しでキリストと戦いました。そしてキリストのかかとを砕くことに成功します。キリストは十字架で殺されるとき、足を釘で打ちつけられました。
ところがキリストは三日目には生き返ってしまいました。そして世の終わりのときには、キリストが悪魔の頭を踏み砕くように完全勝利すると予告されているのです。

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2版:2003年02月27日

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