創世記 第4回

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人間の創造(2章4節~14節)

神ヤハウェは世界とその中の万物を創造しましたが、人間だけがちょっと違ったつくられかたをしました。人間にだけ、モデルがあったのです。

ヤハウェは自身をモデルとして人間をつくり、これに命を吹き込んで、生きる者としました。
じゃあ逆に、神は人間のように手足や目鼻や口があるのかというと、そうではありません。見た目のことではなく、人間の内面的な部分がヤハウェに似せてつくられているのです。

たとえば、人間は愛すること・愛されることに喜びを感じますが、聖書には「神は愛だからです」と書いてあります。人間がものを作り出すことに喜びを感じるのも、天地を創造したヤハウェに似せて造られたからかもしれません。探せばほかにも、人間のうちに、聖書の神ヤハウェの性格に似ているところを見つけられるでしょう。

最初の人間は、アダムと名づけられました。
名前の由来は、土(アダマ)からつくられたからですが、聖書はこういう語呂合わせがけっこう好きらしいです。
そしてヤハウェは、エデンという楽園をつくって、アダムを住ませました。

ところで欧米では、労働というものは罪のためにアダムが楽園を追放されてからはじまったと考えるのだそうです。人が働かなければならないのは、人類の祖アダムの罪を相続しているからで、労働とは罰だととらえるのだとか。(→3章17~19)
では罪を犯す以前のアダムは、エデンの楽園で何もせずにただボーッと生きていたのでしょうか?違います。

ヤハウェはアダムをエデンの園に住まわせると、「そこを耕し、守るようにされた」と書いてあります。エデンの維持管理という仕事が与えられたのです。
さらにヤハウェは、すべての動物の名前をつけるという仕事をアダムに与えました。親が子に、親方が力士に、人がペットに命名するとき、命名する側が相手に対して権威を持っています。エデンの園という自然を管理し、生物に権威を持つ。つまり、ヤハウェが創造したものすべてを支配するのが、人間の役割となったのです。

勘違いしてはいけないのは、支配するとは、支配される側に対して何をしてもいいという意味ではないということです。アダムの子孫である人間は、ヤハウェからまかされたもの、つまり世界の万物について、責任を負っているのです。

[天地万物は完成された。第七の日に、神は御自分の仕事を完成され、第七の日に、神は御自分の仕事を離れ、安息(あんそく)なさった。この日に神はすべての創造の仕事を離れ、安息なさったので、第七の日を神は祝福し、聖別(せいべつ)された。]と記録されています。

疲れたから休憩したというわけではありません。ヤハウェは創造したものを見て満足し、それ以上の創造の手を休めたのです。

「聖別」というのは「聖なるものとして他から区別する」という意味です。書いてあるように、安息日とは「祝福された聖なる日」で、だから6日目に創造終えていたのに、7日目に「完成され」といわれたのです。

解説

聖書をお持ちの方は、創世記2章3節までで創世物語が語られた後、4節からまた創世物語が始まることに違和感を持たれるかもしれません。しかも後者は前者のような創造の順序はなく、人間が植物より先に創造されているよう???
ヤハウェは世界を二度創造したのか?一度目に創造した世界をヤハウェはよしとせず、もう一度最初から創造したのか???もしや、一度目に創造された人間が建造したのが、ムーやアトランティスなのか???

実はこれは、ただ単純にヘブライの文学様式によるもののようです。ひとつのことを、表現を変えて繰り返して書くのです(同じ表現のときもある)。
日本語などで音で韻を踏むように、聖書では「意味で韻を踏む」ともいうような書き方をされていることがたびたびあります。 聖書を読んでいると、創世記以外でも「なんで同じことを2回も書いてるんだ?」とわずらわしく思わされることがたびたびあると思います。

安息日は、現代のカレンダーでは土曜日に当たります。日曜日だと思ってる人が意外といらっしゃるようなので、念のため。
キリストが十字架で死んだあと、三日目によみがえったのが安息日の翌日つまり日曜日でした。これを記念して、安息日の翌日に弟子たちが仕事を休んで集まるようになり、日曜日を休日にして教会に行くようになったのです。(日本はキリスト教は輸入せずに、カレンダーだけ輸入したわけ)

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2版:2003年02月27日

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