創世記 第3回

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天地創造(1章~2章3節)

[初めに、神は天地を創造された。]これが、聖書の最初の言葉です。

「世界を創造する前に神は何をしていたのか」
「神が創造する以前には何があったのか」
こういう質問を受けることがありますが、聖書は、神が天地を創造したときが「初め」であると言っているのです。それより昔という時間は存在しません。

ソ連の宇宙飛行士が人類初めて宇宙に出て「(宇宙には)神はいなかった」と言ったそうですが、聖書でいう「地」と「天」とは、地球に対する宇宙という意味ではありません。「天」とは神がいるところ、「地」とは人がいるところという意味でとらえてください。

民族の数だけ神話があるといいます。神話の数だけ創世物語があるでしょう。ところが、宇宙の起源について語っているものは意外と少ないそうです(聖書のほかにはないという学者もいます)。
多くの創世物語では、神は生まれてくる存在です。大地や海やどこかかなたで神が生まれたことになっているのですが、神を生み出した大地や海や「どこか」がなぜ存在するようになったかについては口を閉ざします。
この点で、「とにかく神がまず存在した。その神がすべてを生み出したと主張する聖書は独特です。

ほかにも多くの点で、聖書に書かれている神は私たち日本人が「神」という言葉からイメージするものとはかなり異質です。そこで本誌では、聖書の神について可能な限り名前で呼ぶことにします。

聖書の神は、名をヤハウェといいます。

さて、そのヤハウェが天地を創造したとき、「地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。」と記録されています。カオスの状態に、ただヤハウェだけが存在していました。

宇宙の最初の状態がカオスだったというのは科学も言っているところですが、この状態から世界はヤハウェの言葉によって秩序へと向かいます。有名な「光あれ。」の言葉からはじまって、材料も道具もなしに、言葉だけでヤハウェは創造を進めていったのです。

そしてヤハウェは、6日間ですべてを創造しました。
余談ですが、この6日間というのがどれくらいの長さだったのかは意見の分かれるところです。「1日というのは一区切りという意味で、実際には膨大な時代が経過した」と読む人もあり、「6日と書いてあるのだから6日だ」という人、「当時は現代より地球の自転が早かったから、厳密には現代の6日間より短い」という人もあります。

けどそれは枝葉末節なこと。大事なことは、ヤハウェがすべてをつくったということ、そして「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」と書いてあるということです。世界とその中のすべて〈人間を含めて)は、極めてよいものとして存在をはじめたのです。

解説

神の一人称として「我々」という言葉が出てきます。あれ?キリスト教は一神教じゃなかったっけ?
確かに聖書では「神は唯一」と繰り返されています。ではなぜ「我々」と書いてあるのかというと、実はよくわかっていません。

有力とされる解釈に「神の高貴さを表す一人称単数ではないか」というのがあります。
日本語には私、俺、僕、拙者、朕、余などなどありますが、たとえば英語には"I"しかありません。それで、たしかイギリスだったと思いますが、王様は一人称単数として"We"を使うと聞いたことがあります。それによって高貴さを表すわけです。

新約聖書の「ヘブライ人への手紙1:2」に、ヤハウェはキリストによって世界を創造したと書いてあります。その他の記述からも、キリスト教では、ヤハウェとキリストはひとつであると考えます。
さらに「霊」という神がいます。「聖霊」「御霊(みたま)」あるいは「弁護者」とも呼ばれる、ヤハウェとひとつでありながらヤハウェとは別の神です。

「神は唯一である」と「ヤハウェという神がいて、キリストという神がいて、霊という神がいる」が矛盾なく調和している。これをキリスト教用語で「三位一体(さんみいったい)」といいます。

脳みそウニ状態になるかもしれませんが(なりません?発行者はウニになりました)、キリスト教というのはそういう神を信じているらしいと思っておいてください。

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2版:2003年02月27日

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